日本のコリアンタウンにおける靴産業の歴史:生業が育んだコミュニティと空間の変容
はじめに
日本のコリアンタウンの歴史と文化を考察する上で、経済活動、すなわち生業の役割は極めて重要です。特定の産業が集積することにより、そこに暮らす人々のコミュニティが形成され、物理的な空間にも特徴的な痕跡が刻まれてきました。本稿では、数ある生業の中から靴産業に焦点を当て、それが日本のコリアンタウンにおいてどのように展開し、コミュニティの形成や空間の変容にどのような影響を与えてきたのかを考察します。特に、大阪生野区や神戸市長田区といった代表的なコリアンタウンにおける靴産業の歴史は、地域社会の成り立ちと深く結びついています。
靴産業と在日コリアンの関わり:歴史的背景
在日コリアンが日本の靴産業において重要な位置を占めるようになった背景には、いくつかの歴史的要因が存在します。明治期以降、日本国内の皮革産業は、皮革の原料供給や加工技術の面で、特定の地域や集団に集積する傾向がありました。特に、大阪や神戸といった港湾都市周辺には皮革関連産業が集積し、それに伴い靴製造業も発展しました。
在日コリアンがこれらの産業に関わるようになったのは、主に戦前からの労働力移動と深く関連しています。当時の日本社会において、多くのコリアンは劣悪な労働条件や社会的な差別の中で、比較的参入障壁が低い、あるいは既存の労働者が忌避するような生業に従事せざるを得ない状況にありました。皮革加工やゴム加工、そしてそれらを原料とする靴製造業も、こうした歴史的文脈の中で多くのコリアン労働者を引き寄せることとなりました。関東大震災後の社会変動も、特定の地域におけるコリアンコミュニティと皮革・靴産業の結びつきを強めた一因として指摘されることがあります。戦後も、混乱期における経済活動として、また新たな定住地での生計手段として、靴産業は多くの在日コリアンにとって重要な生業であり続けました。
主要地域の事例:大阪生野と神戸長田
大阪生野区
大阪市生野区、特に御幸森周辺は、古くから在日コリアンが多く居住し、靴産業が盛んな地域として知られています。この地域には、小さな町工場や家内工業的な形態の靴製造・加工業者が多数集積しており、その多くが在日コリアンによって営まれてきました。狭い路地にひしめき合うように工場や作業場が存在し、職住近接の生活様式が根付いていました。
この地域の靴産業は、主にゴムや合皮を用いた安価な靴やサンダル、作業靴などを大量生産する形態が中心でした。産業構造としては、部品製造、組み立て、仕上げ、問屋といった形で分業が進んでおり、コミュニティ内での経済的な相互依存関係が構築されていました。卸売市場や関連部品を扱う店舗なども集まり、特定の地域に産業クラスターが形成されていました。このような産業構造は、地域住民間の緊密な社会関係や互助組織の基盤ともなり得ました。
神戸市長田区
神戸市長田区もまた、皮革・ゴム産業が盛んな地域であり、戦前から在日コリアンが多く居住していました。長田の地場産業として発展したゴム産業は、ケミカルシューズ製造へと繋がり、多くのコリアンがこの産業に関わることになりました。生野と同様に、長田のコリアンタウンにおいても、ケミカルシューズ製造に関連する中小零細企業や家内工業が集積し、地域経済を支えてきました。
1995年の阪神・淡路大震災は、長田の街に壊滅的な被害をもたらしましたが、靴産業に従事するコミュニティも大きな影響を受けました。しかし、震災からの復興過程において、靴産業は地域の再建における重要な要素の一つとなりました。新しい工房の設立、共同作業場の設置、そしてデザイン性の高い靴製造へのシフトなど、産業構造や空間利用に変化が見られました。震災からの復興は、単に建物を再建するだけでなく、生業のあり方やコミュニティの再構築とも深く関わっていたのです。
生業が集積する空間とコミュニティの変容
靴産業のような生業が特定の地域に集積することは、コミュニティの形成に多大な影響を与えます。共通の生業に従事する人々は、仕事を通じて日常的に交流し、情報交換や技術の共有を行います。また、経済的な結びつきは、互助組織や親睦団体の形成を促し、コミュニティ内の社会関係を強化する要因となります。職住近接型の生活様式は、仕事場と居住空間、そしてコミュニティ空間を一体化させ、地域に対する強い帰属意識を育むことに繋がります。
しかし、生業を取り巻く環境は常に変化します。グローバル化による安価な海外製品の流入、国内需要の変化、後継者不足といった問題は、靴産業にも大きな影響を与えています。多くの工場が廃業したり、事業内容を転換したりする中で、かつて生業が集積していた空間も変容を余儀なくされています。空き家や空き店舗が増加する一方、新たな移住者や異業種の参入も見られます。このような空間の変容は、同時にコミュニティの構造や社会関係の変化も引き起こしています。かつての職縁や地縁に基づく強固なコミュニティが希薄化する一方で、新たな繋がりや多様な営みが生まれつつあります。
結論
日本のコリアンタウンにおける靴産業の歴史は、単に特定の産業の盛衰を示すだけでなく、そこに暮らした人々の生活、コミュニティの形成、そして物理的な空間のあり方と深く結びついた物語です。大阪生野や神戸長田に見られるように、靴産業は在日コリアンにとって重要な経済的基盤となり、職住近接型の生活様式や産業構造を通じて、独自のコミュニティと空間を生み出しました。
しかし、時代の変化に伴い、この生業は大きな転換期を迎えています。産業の衰退は空間構造の変化を招き、コミュニティのあり方にも影響を与えています。このような変容のプロセスを追跡することは、コリアンタウンが持つ多層的な歴史と文化、そして現代社会におけるコミュニティの課題を理解する上で、重要な視点を提供してくれます。生業を切り口としたコリアンタウンの研究は、経済史、社会史、都市史、そして文化人類学といった多様な分野に繋がる、学術的に豊かな探求領域であると言えるでしょう。